トップページシンガープロ今までに発行してきたシンガープロ一覧表

 今、「三陸海岸」で大好評の大城バネサが6月9日、岩手県 釜石仮設住宅ジャパンケアセンターを慰問。テレビで大人気の宮川大輔&花子漫才コンビの後の出演だったのでお客様に喜んでいただけるか心配であったが、そんな心配をよそに大盛況。会場の皆さんは弾ける笑顔で思いっきり楽しんだ。
   大城バネサは、5年前から日本の母と呼んでいる舞踊家(日本舞踊・西川流)で作詞家の青山るみさんのボランティア活動に随行し歌唱ライブを展開。全国300ヶ所近く慰問を行っている内に歌に対する気持ちが大きく変わった。
 今までは、自分のために教えられたように歌ってきたけれど、歌は心と心で皆さんと一緒に楽しむものと思うようになった。
 だから今は心の底から晴ればれとした気持ちで歌を楽しめるようになり慰問活動はとても楽しく、多くの皆さんの笑顔に触れる喜びを噛みしめる。
   同じ日に釜石市旧唐丹小校庭と水海総合公園で岐阜県養老のライオンズクラブの樋渡さんと一緒に岐阜県海津市の千本松原の松を植樹。
   濃尾平野を流れる木曽川、長良川、揖斐川を一筋の川と同様に考え、“木曽三川”と呼んで慣れ親しんできている。この三川の流域では古くから洪水による水害が多く、古くは宝暦3年(西暦1753年)に江戸幕府はこの美濃から1,200kmも離れた薩摩藩に、幕府の設計に基づいて、人手・お金・材料を負担して工事を実施するよう命令を出す。雄藩であった薩摩藩の経済力を弱めるねらいがあったと考えられている。薩摩藩は幕府の命令に従うことを決め、翌宝暦4年2月に工事を開始し約1年3か月で完成。しかし難工事で,約40万両(今のお金で400億から500億円相当)の経費がかかり藩財政は大きな打撃を受け、さらに工事中の自害・病死等の犠牲者も薩摩藩関係者だけで大変な数だったと伝えられる。
 岐阜県海津市の千本松原の松は、当時工事を担った薩摩藩士1,000人が鹿児島から運んだ日向松を約1キロにわたって植えたとされる。
   大城バネサは、東日本大震災からの復興を祈念し、マツボックリから育てた2世松(日向松2世) を心を込めて植樹。「この松も釜石の復興のシンボルになれば」と願った。
   大城バネサは、6月6日に拠点の岐阜羽島を出て、埼玉、山形、秋田、盛岡を経て6月9日に釜石に。釜石から、気仙沼、東京、秋田、青森、石巻、仙台、東京を回り、6月18日に佐賀、そして福岡へと精力的に歌手活動を展開している。
 「三陸海岸」が大ヒットできるよう、ぜひ皆さん、応援お願いします!
月刊シンガープロ 月刊シンガープロ注文用紙シンガープロ