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インタビュー取材 山崎ていじ 平成26年2月28日
溢れる笑顔で迎えて下さった山崎ていじさん。新曲の「昭和男唄」は昭和生まれの不器用な男性をテーマにした歌で、山崎さんは、自分自身を唄っているような歌と云われるが、けっして不器用でなく、むしろ愛想の良い爽やかな感じのするアーティストであった。
尊敬する歌手は村田英雄さんと五木ひろしさん。6才の頃に村田英雄さんの「王将」を聞いた時、子供ながらに「すごいな」と感動し、その太い声、男らしい歌唱姿に憧れた。
父と母はそれほど歌は好きでなかったけれど、祖父あるいは曾祖父に歌好きの人がいて、その遺伝子が回ってきたのか、幼い頃、母が畑仕事していると、あぜ道で「赤胴鈴之助」の歌をよく歌っていた。
中学・高校時代はバスケットに夢中で、国体選手の一時補欠であったが、レギュラーとして選手生活を送った。4人兄弟の末っ子で、父の仕事(大工)を継ごうと建築科のある大学を受験したが失敗。大学でバスケットしたい気持ちもあったので、再チャレンジするために京都にいた兄を頼って、京都でアルバイトをしながら受験勉強。人生はここで思わぬ展開に。バイト先に向かった道中で、電柱に貼ってあった「ボクシング練習生募集!」のチラシを見つけて、その日にジムを尋ね入門。アマチュアを足かけ2年経てプロテストに合格し、プロボクサーに転向。
当時、プロボクサーとして名高かった具志堅用高さんが「カンムリワシの詩」でレコードを出版したので、「ボクシングでもチャンピオンクラスになれば、レコードが出せる」と大きな励みになった。
ある日、トレーナーと一緒に飲みに出かけた店で歌を歌ったら、「歌、上手だね。がんばってチャンピオンになってレコード出そう」と言われた。自分の好きな道が歩めると思うと俄然嬉しくなった。しかし新人王決定戦に出場するも敗退。次の年も決定戦で負けた。その後、足の関節の故障に泣き、チャンピオンへの夢も断念。
その後、カラオケ大会を探して次々と出場。当時はひげをはやしていたので、会場では「ひげの山ちゃんがまた来た!」と有名人になっていた。優勝すればスカウトされる思いがあったが、なかなか優勝には手が届かなかった。
転機は平成6年の37才の時に訪れた。滋賀県の紅葉パラダイス カラオケ大会でグランドチャンピオンに輝き、審査員をしていた先生に歌って欲しい曲があると依頼があった。それがきっかけで、「歌手をやってみようか」という気持ちに大きく揺れ動いた。
平成8年にプライベート盤でいよいよ歌手としてスタートを切った。
平成13年、パップレコードで夢のメジャーデビューを果たし、その後、徳間ジャパンを経て、コロムビアに。今年2月26日にコロムビアレコード移籍第4弾新曲「昭和男唄」を発売。
今年は勝負の年。心機一転、歌手名を「山﨑悌史」から「山崎ていじ」に改名。尊敬する五木ひろしさんの歌手名は誰でもわかるひらがな。同じく、氷川きよしさんも細川たかしさんもひらがな。偉大なアーティストにあやかりたいし、皆様にいっそう親しんでいただきたい。そんな願いが込められている。
新曲「昭和男唄」の2コーラス目と3コーラス目の間奏にハミングがある。これは作曲家 弦哲也先生のアイデアで、2コーラス目と3コーラス目で、愛する女性が天国に召される過程、時の流れ、季節の流れを深く考えさせてくれる。ハミングは意味深いドラマを伝えてくれるので、例え、2コーラス目を省いて、1コーラス目と3コーラス目で歌唱しても違和感なく「時の流れ」のもつ重みと深さをしみじみと感じさせてくれる。
新曲「昭和男唄」は、山崎ていじが歌うとスケールの大きい歌に聞こえてくる。歌詞の「言葉さえ」、「午前様」、「いるうちに」が一番音の低いところで、低音の響かせ具合をしっかり歌い、かつ一番音の高いところ「やだね、やだね。」、「呑んで 呑んで」、「バカな、バカな」で、張りのある力強い高音で気持ちよく歌い上げると、スケール感のある歌になる。
カップリング曲「帰っておいでも」は、しみじみとしたステキな歌で、メイン曲としてもふさわしい歌。どちらをA面にしてもおかしくなく、山崎ていじは、両A面の気持ちで取り組んでいる。
山崎ていじは、大相撲の追手風親方と親交が深く、現在、人気急上昇中の幕内力士、遠藤(23)を昨年の名古屋場所前に紹介された。新進気鋭の力士と対面し、大きな刺激を受けた。
目標はNHK紅白歌合戦への出場。新曲「昭和男唄」で、真っ向から勝負を挑む。
相撲と同様、横綱級の歌手となって、演歌界のレジェンドとして語り継がれるアーティストになる予感がした。