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松田敏来 インタビュー取材から 2015年1月26日
   岐阜県で生まれ育ち、現在、愛知県江南市在住の松田敏来。地元密着のスタンスで活躍している松田敏来であるが、このたび2015年2月18日に日本コロムビアに移籍し、移籍第一弾「国府宮はだかいのち節」を発売。本格的に全国に名乗り出る。
 「国府宮はだかいのち節」は、松田敏来が初めて作曲を手掛けた曲で、“ふるさとてづくり歌づくり”シリーズを踏襲した曲調。作詞を手がけた藤吉秀彦さんと国府宮に幾度も足を運び、現場の雰囲気を肌で感じつつ互いに知見を高め、また稲沢市長のご意見も頂戴しながら苦心してできあがった感慨深い楽曲。タイトルにもこだわった。「国府宮はだかいのち節」の「いのち」を漢字ではなく、命がけのすさまじい情景を如実に伝えたいと思ったから、あえてひらがなにした。お陰で、この歌を聴けば、裸男たちの「ワッショイ、ワッショイ」の掛け声と,もみ合う熱気がありありと目に浮かんでくる。
 神男を見つけた裸男たちが「ウォーッ」と殺到し、神男に触れて厄を落とそうとすさまじいもみ合いになる。裸男たちに浴びせられる手桶の水は、体熱でたちまち湯煙となる。そんな情景を松田敏来が威風堂々と勇ましく歌い上げる傑作作品の登場である。

   松田敏来は、身長180㎝のイケメン歌手で好感度抜群。母はお琴の師匠で、彼は赤ちゃんの頃からお琴の音色を子守唄のように聴いていた。音楽が好きだと思ったのは小学5年生の時で、音楽担当の先生がリコーダー(縦笛)教育に熱心で、その熱意に感化されて好きになったようだ。
 高校は県立岐阜商業高等学校で、バスケット部に所属していたが、遊びでバンドを組み、ヘビメタ(1970年代末期から1980年代後半にかけて流行したロックのスタイルで、激しい興奮と狂乱状態に陥ることもある過激な音楽)に明け暮れていた。パートはボーカルが中心でメイクもして、一生懸命やっていた。その頃からいろいろなコンサートに出かけ、特に名古屋レインボーホールで行われた矢沢永吉のライブには大きな感銘を受けた。「自分もあのような素晴らしいアーティストになれたらいいな」と強く憧れた。バンドはヘビメタ好きな同級生に誘われて始めたが、その彼は今もアメリカで仕事をしながら音楽を続けている。
 松田敏来はいろいろなジャンルの音楽が好きであるが、バンドをやっていた頃、五木ひろしの歌をヘビメタ風にアレンジして歌っていたことなどから、その頃から演歌に多少ながらも傾倒していたのではないだろうか。
 高校卒業後、大手スーパーに就職。当時カラオケ全盛時代で、同僚とカラオケに行くと、「上手だね」とよく褒められた。この頃から本格的に歌手になりたいと思うようになり、あすなろ劇団、名古屋ジャパンアーチストオフィスに通い歌の基礎訓練を受けた。
 そしていよいよ松田敏典(まつだとしのり)の名で1996年に歌手デビューを果たす。「港まち」「もとす来い恋音頭」をポリドールフレンドより発売。2000年には「紅葉橋」「道標」をガウスエンタテインメントより発売。
 ある日、名古屋錦にテレビドラマや舞台で活躍していた小鹿みきさんのクラブがあり、お邪魔したところ、平尾 昌晃氏の息子さんと出会い、それがご縁で、2007年に松田敏来に芸名を改名して、平尾昌晃総合プロデュース「だ・い・て(小鹿みき&松田敏来)」「長良川恋歌」をHMSレコードより発売。2011年にも平尾昌晃総合プロデュースにより、カバー曲「わたしの城下町」「二人でお酒を」をHMSレコードより発売。 2012年は、ふるさと手づくりうたづくりの活動を通し、浪曲師酒井雲を唄った「人生長良川」「手力火祭りいのち節」をプライベート発売。
2013年に、まちづくり江南市民会議からの依頼で、漫画家の倉橋寛作詞・作曲の「男依音頭」と「壬申将軍・村国男依」を発売し、夏の盆踊りで江南市の活性化に一役買うこととなった。
2014年に人気曲「紅葉橋」を再発売。カップリングには「弓ケ浜ブルース」(鳥取県境港市観光協会推薦曲)を収録。
2015年2月18日に日本コロムビアより「国府宮はだかいのち節」「そうだ故郷がそこにある」を発売。
   松田敏来の歌声は透き通るハイトーンボイスが特徴で、裏声の技巧にも長けており、高音域から奏でる声が実に素晴らしく、大きな感動を呼ぶ。
 まずは地元から盛り上げてもらい、そこから順に全国に波及していけば、大きくヒットに結びつくアーティストになれるのではないだろうか。
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