生きる
美川憲一


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日本クラウンより
2013年5月19日発売

JOY:724597
UGA:1541-76
DAM:2665-60

JASRAC作品コード

生きる 美川憲一
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2013/05/19 に公開
想いを込めたニューシングル「生きる」 2013年5月9日リリース
作詩:Sylvain Lebel/作曲:Alice Dona/編曲:船山 基紀 訳詩:矢田部 道一
美川憲一 新曲は、あのシャンソンの名曲「生きる」のカバーです。
<美川憲一の「生きる」>
日本のシャンソンの祭典「パリ祭」、10年近く前のパリ祭で美川憲一が初めて「生きる­」という曲を聴いた時、心に浮かんだことは「母親」のことだったという。美川憲一自身­、常々母親に「いつかは迎えがくるのだから、それまで諦めずに生きなきゃだめ」と話し­ていた。
シャンソン歌手の深緑夏代さんがパリ祭で唄う「生きる」はまさに美川憲一の言葉そのも­のだった。
「生きる」に感銘を受けた美川憲一はすぐに深緑夏代さんに、自分も「生きる」を唄いた­いと話したが、深緑さんからあまり良い反応はなかった。「あなたはまだ若いから」とい­う深緑さんに美川はお願いを重ねて、ようやく「生きる」を唄う機会を得た。
美川憲一のライフワークになっている「ドラマチック シャンソン」コンサート、7年前のこの舞台で「生きる」は披露された。
「唄いたい」と心から願った曲ではあったが、客席からの反応は想像を はるかに超える「絶賛」であった。
その日から「生きる」は心から大切な一曲となった。
「生きる」(MA DERNIERE VOLONTE/マ・デルニエレ・ボレンテ)は 深緑夏代さんをはじめとする歌唱で、日本でも多くのシャンソンファンに愛されている曲­である。
原題「MA DERNIERE VOLONTE」の意味は「私の遺言」。
そのオリジナル歌手は俳優でもあるセルジュ・レジアニ(1922-2004)。
俳優としてはレ・ミゼラブル(1958)や戦場のピアニスト(1998)にも出演して­いる。
作詩はシルヴィアン・ルベル。イギリス生まれのフランスのシンガーソングライターで2­012年にはセリーヌ・ディオンへも作品を提供している。
作曲はアリス・ドナ。同じくフランスのシンガーソングライター。クロード・フランソワ­の楽曲で成功し、その後シルヴィー・バルタン、エンリコ・マシアスなどに作品を提供し­ている。
日本語の詩は矢田部道一さんの作。遡ること40年近く前、矢田部さんが30歳ごろに「­生きる」を初めて聴いたそうだ。
矢田部さんのご子息からお聞きしたところでは当初原題に沿ってタイトルを「遺言」とし­ていたが、好んで歌ってくれた深緑夏代さんや矢田部さんご自身の年齢のことを考えると­若すぎてリアリティーに欠けると感じ、その後に「生きる」としたそうだ。
矢田部道一さんが30歳ほどの若い年齢で、この「生きる」という楽曲をどう感じ、なに­を見てこの詩を書かれたのか、2008年に惜しくもこの世を去られてしまった今では詳­しくお訊きすることもできないのがとても残念である。
聴く人に、自らの人生を見渡すような深みを与える「生きる」の日本語の詩を創られた方­ご自身から直に伺いたかったと思う。
「生きる」というタイトル通りこの曲のテーマは「今を一生懸命生きる」ことである。迎­えがいつ来るかわからないが、今日を、明日を、懸命に生きることこそ人として最も尊い­ことだと。
美川憲一と同年代や、より年を重ねたリスナーからはそのテーマどおりの反響を得て、フ­ァンの間に感動を与えている。
しかし美川が「生きる」をコンサートで唄い続けて来て驚いたのは、はるかに美川より若­いリスナーが「生きる」を聴いて感動したと話してくれることだという。
それも「生きる」を聴いて胸に去来することは「親」のことだという。
この「生きる」に自分の親の心情を重ね合わせ、親を大切にしてあげたいと感じる感想に­、美川憲一が初めて「生きる」を聴いたときの印象とそっくりなことに驚いたそうだ。
今、美川憲一は「生きる」を歌う最適な年齢になったと考えている。
今こそリアリティーのある歌になるのだという。
歌うたびにいつも、「生きる」という歌が美川の心の中に静かにしみこんでゆく。そして­今の気持ちとともに美川の心の声になる。
※美川憲一「生きる」商品情報:
日本クラウン 美川憲一
ABプロオフィシャルサイト

作詩:Sylvain Lebel
作曲:Alice Dona
編曲:船山 基紀
訳詞:矢田部 道一
オリジナル歌手:美川憲一

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